鈴鹿山脈の主峰御在所岳(右)と、鎌が岳(左、鈴鹿の槍と称される)その間の峠
が武平峠。

鈴鹿スカイラインでワインディングを楽しむはずが、いつの間にか武平峠に立って
いた。山やの血が騒いだってのはカッコ良すぎるかな。…【地図へ】

山道に咲くイワカガミ。僕の好きな花のひとつ。

ケーターハムセブン(ロータスセブンの後継車、よくあるレプリカではない。)。後ろ
に武平トンネルが見える。

雲迎寺の参道。

正法寺「藤の寺」の藤。樹齢約300年。本堂横のすぐ山手に国の重要文化財に
指定されている石造宝塔がある。

近江日野商人館。宝暦7年(1757)に山中兵右衛門が建てたもの。倹約を旨とす
る日野商人は、組織的な商人組合を確立していた。…【地図へ】

帰りは1号線。鈴鹿峠で一休み。…【地図へ】


鈴鹿スカイラインで、ワインディングを楽しむはずが(実際楽しんだ、三重県側は
サーキット防止の凹凸が作ってあって面白くない。滋賀県側は比較的楽しめる。)
滋賀県側に抜けて日野町に面白そうなものがいっぱいあって走っては止まり、走
っては止まりで時間がかかった。
日野町は、いい意味で時代に取り残された町という印象だった。かの蒲生氏郷が
領主であった地でもある。(蒲生氏郷はちょっとマイナーかもしれないけど、実力
的には伊達・前田に匹敵する武将です。)
日野町は、かつては(江戸時代)商人の街として栄えたらしい。地理的にも京・大
坂に近く、いわば京・大坂と尾張・江戸さらには越前・加賀への物流の中継地で
あったのではないだろうか。だから、物を生み出すのではなく情報と金の行き交
う場所だったのではないだろうか。
つまり、農産物が豊かでないこの地域は、江戸時代の平和な時期に情報と物流
によって栄えたのだと思う。実際古い町並みや、旧跡の類が山ほど転がっている。
これは、明治・大正・そして昭和の高度経済成長期において、交通手段の発達に
より日野町がその中継地としての役割が無くなり、かつ大阪・名古屋のように開
発の波に呑まれることなく、つまりは時代から取り残されて古い物があるがままに
残されたおかげなのではないだろうか。
そして、今また、脚光を浴びているのは、その歴史的な背景を眼で見ることがで
きるからです。(今脚光をあびているのか?ですって、ここで言う脚光とは、僕の
関心のことです。)


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