TLTの活動T


2003.10.18(2004.3.20記す)

日付が前後して申し訳ありません。記憶が混乱していたようで、前項の2003.11.8のTLT活動の前にどこかへ出かけたようです。従って、「僕の復帰第1回目のTLT活動です。」という記載は誤りで2回目が正解です。
まあ、このページをご覧の皆様にはあまり関係ないことなので大目にみてください。
2003年10月18日未明に、M田さんが死にました。(享年50)
M田さんは、会の中心的メンバーであり彼の行動力、考え方にメンバーが少なからず影響を受けていました。そして、何より皆の良き先輩であり、友人でありました。死ぬ1ヶ月ほど前に僕の復帰第1回目のTLT活動がありましたが、その時もやはり、いいおじさんでした。僕が記憶しているM田さんの最後の言葉は、「これって、森山良子じゃないよね。」から始まる一連の会話です。最後は、「あ〜良かったこれで森山良子だったら恥ずかしい……」とか何かだった。う〜ん、人間変な事を記憶しているもんですな。(ちょうどこの文章を書いているときに電話があり、同級生のお父さんが亡くなったそうです。そういう年代<40歳の厄年>なんですね、うちは僕も女房も両親が健在なのですが。)

時々死について考えます。それは、人生を考えることなのです。僕の人生は、死によって終了します。それがいつどこでなのかは分かりません。しかし、逆に言うと死ぬまで人生はつづく訳で、それをよりよく、有意義に過ごしたいと思っています。
それは、僕の場合、出世するとか、名を残すとか、まあ同じ様な意味の繰り返しになりますが他人に良い評価を与えられるとかいうことではないようです。そうしたくないとは言いません、出世したいし、名を残したいし、評価を受けたいですが、じゃあそれが有意義な人生かと問われるとちょっと僕は違うのです。
あまり長くなってもなんですので(それにうまく説明できないし)端的に言うと、「気持ちのいい時間を過ごしたい。」というのが、僕の人生の目標なのです。な〜んだ、当たり前じゃないかっていう人もいるだろうし、志が低いという人もいるでしょう。
ま、他人がどう思おうと勝手です。言われると反論するでしょうが。

M田さんが死にました。M田さんのことですから、間違いなく充実した人生だったと思います。残念なのは、さらに充実した人生を送ることができたはずなのに病に倒れたことです。
しかし、それもまた人生なのです。
(PS その後しばらくして僕が仕事上で尊敬していたM町役場のIさんが、死にました<享年52>。きっとIさんも充実した人生だったと信じています。)





2003.11.16 「野麦峠のペンション」                

会長と兼さんの友人がオーナーのペンション「若草物語」に行きました。野麦峠の近く。名古屋から往路は、伊那路を、復路は木曽路を通りました。写真は、伊那市で食べたローメンです。ローメンについては、詳しくはリンク集参照。




2003.12.13 「ログハウスU」                    

兼さんのログハウスに行きました。少し早めのクリスマス会ということでケーキを買っていきました。でも、なぜか昼はそば。




2004.4.10 「寺尾ヶ原千本桜」                   

寺尾ヶ原千本桜(岐阜県武芸川町<むげがわちょう>)と岐阜県郡上八幡にお花見。僕は、夜の予定があったのでTRXで参加。




2004.5.22 「八高山」                         

静岡県八高山(はっこうさん)に登りました。久しぶりにピークを極めるTLT活動でした。大井川鉄道のSLの音が登山中と下山中に聞こえました。
もう20分早く下山していたらSLが見られたのにと、皆で残念に思いました。




2004.7.10 「霧ヶ峰・諏訪湖畔散策」               
                       
霧ヶ峰(長野県)に行きました。
快晴なら木曽駒ヶ岳を目指す予定でしたが、当日は雨天。
しかも、時々豪雨ということで、霧ヶ峰散策、諏訪湖畔探索ということになりました。


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